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ちゃんとねなくちゃ

とねなです。はてなダイアリー「わたしはらいぶらりあん!」から、はてなブログに移行してきました。移行に伴い、ブログ名も変更しました。ついったーでエゴサすると必ずヒットしてくるやつです。

5年前のこと、きちんとまとめておく。

2011年3月11日。

わたしは、つくばにいた。

 

1日目 3月11日(金)

その日は16時からバイトだったため、こたつで寝ていた。

いつも地震を感じるとツイートしていたので、この日もとりあえずツイートしたんだけど、なんかいつもと違って強くて長い揺れ。

 

14時53分には停電に。まだ昼間だったから、部屋の中が暗くなることは無かったけど。TVがつかずワンセグも見れなかったのでTwitterのタイムラインから情報を。

 

このときの部屋の中はこんな感じ。

(写真を撮ったのは数時間経ってから。ドア前とかは少し足の踏み場を作っている。)

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部屋を出るとキッチンが左側にあって、玄関に続く。

お皿なりコップなり落ちてきたけど、そういえば1枚も割れなかったな。

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15時14分には水も止まった。

 

15時16分。こっちの揺れの方が、つくばは強かったんだっけ。

 

どうすれば良いか分からず、アパートの前の公園に出た。

一人でいるのは心細く、徒歩10分の大学へ。

そうだ、雨が降り始めたんだっけね。

つくば駅前の信号は1つも点いてなくて、消防車や救急車がたくさん走ってた。

 

大学着いて、向かいの研究室で一緒に過ごさせてもらった。

大学は停電していなかった。水はチョロチョロ出るくらい。

学内ネットが繋がったので、しばらく持ってきたPCで情報を集めてた。

 

ママから携帯に連絡があって、少し電話。

 

21時。とりあえずアパートに戻ってみることに。

戻る途中、駅前にあるミスド店内の写真を撮った。食べかけ。

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駅前は思ったよりも明るかった。信号は点いてなかったから、月の明かりだったのかな…

アパート周辺は真っ暗。うちも電気復旧してなかったので、大学に戻ることに。

 

研究室に戻ったんだけど、講義棟にたくさん人がいると聞き、その晩は春日のフリスペで過ごした。後輩がWi-Fi環境を提供してくれて、持ってきてくれたディスプレイにUstreamを映して。NHKのミラーだったっけ。そういうのあったよね。お菓子もジュースもあって、お水が出る家の子がおむすび握って持ってきてくれた。

 

何度も聞こえてくる緊急地震速報の音が嫌になりつつ、明るくなるまでトランプで神経衰弱をしていた私たち。

 

2日目 3月12日(土)

6時。外が明るくなり、講義棟内も立ち入り禁止になるということでアパートに戻った。電気は復旧。水はまだ出なかった。

 

このとき、TXは動いていたけど、つくばまでは来ない。常磐道は通行止め。ということで、実は3月12日、名古屋で開催する某フォーラムのポスター発表をする予定だったのだけど、行く術が無かったため名古屋のホテルをキャンセルに。フォーラム自体は通常通り開催するとのことだったので、前日入りしていた方々にお任せした。

 

7時30分 就寝。 15時 起床。

 

 

水道が復旧した。  ……と思ったら、

 

このとき本当に必要だった情報は「茨城は」とか「つくばは」とかではなくて、もっと小さい範囲「春日3丁目は」「東新井は」といった範囲での情報だった。ライフラインの復旧状況、営業してるお店の情報、危険な道の情報……そういうことはTwitterから情報を得ることはできた。自分がフォローしてる人たちは周辺に住んでいる人(筑波大生)が中心だったからね。でも、まとめられたサイトがあればいいな……そこで後輩がまとめてくれていたページがすごく役に立った。そのページのURLを貼るのは憚られるのでやめておくけど、ありがとう、わっふるたん。

 

天久保にあるカレー屋さん「ジュエル オブ インディア」が営業してると聞き、自転車で15分、行ってきた。

避難場所になっていた吾妻中には、コートダジュールからケーキが届いたらしい。行けばよかった。

 

この日の夜も余震が続いてた。

 

3日目 3月13日(日)

13時30分 起床。

途中で何回か揺れで目を覚ましたけど、眠気には勝てず眠り続けた。

 

この日のお夕飯

 コンビニにも商品が少なく、食料の確保に必死だった。

 

水は18時〜22時の間だけ復旧。ペットボトルに貯水。ゴミ捨てを怠っていたのが役に立ったw

 

4日目 3月14日(月)

9時 起床。水も電気も安定して復旧してきた。

4日目でも大きい余震が続く。

 

この日は、らふにんさん・なりぃさん・しょうえい君と、前々から計画していた「ウエストハウスでビッグパフェを食べる会」へ。ウエストハウスは通常営業でした。ドリンクサービスだったね!楽しかった。

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15日のバイト休みの連絡が来たので、静岡の実家に帰ることに。

この日のお夕飯も、天丼。

 

5日目 3月15日(火)

前日に21時30分頃から寝ていたようで、5時30分 起床。

 

茨城県全域が計画停電の対象から外れる。当たり前だっ。

 

8時 つくば駅でTX乗車。本数は、かなり減らして運行していた。秋葉原発つくば行き 9時50分が午前中の終電。

10時 新幹線乗車。11時 三島駅着。

 

実家は計画停電の対象だった。

20時56分、計画停電終了。約2時間だった。

 

そして

地震から避難してきたはずなんだが。ついに東海地震が来たかと思った。

Twitterでは訓練された静岡県民が話題に。

この頃から、わたしのTwitterのタイムラインも通常運転になってきた。

 

6日目〜12日目 3月16日(水)〜 22日(火)

3月いっぱいバイト休みの連絡。

ママと地元のイトーヨーカドーへ。マクドナルドが店内真っ暗で営業してた。

その後、22日まで実家に滞在。

 

13日目 3月23日(水)

つくばっく。

この日、まどマギ今後の放送休止との公式発表。

そういえば、最終話放送日の一挙放送祭りは、友人の家でみんなで見たんだっけ。女子4〜5人くらいで。楽しかったな〜。

 

 

 その後は震災前と同じ日常とは言えないけれど、わたしはわたしの日常を過ごすことができた。

 わたしが経験した東日本大震災はこんな感じ。ケガをしたり、大切な人を失ったりはしなかったものの、震災後の数日間はまさに「非日常」だった。3日目までは、とにかく食料と水の確保に労力を使った。防災に関しては幼い頃から鍛えられている静岡県民なのに、非常食の準備をしていなかったことは反省。この記事をどうまとめるかは難しいんだけど、とにかくこの記憶が薄れてしまう前に記録をつけておきたかった。いつかくる東海地震への備えを見直せねばと決意しつつ、ここで筆をおくことにする。